アイドルにはあの日からずっと救われてきた:タイの楽曲派アイドルFEVERのCDを日本で売った話

タイ音楽

山麓園太郎です。サワディーカップ。

K-POP以外の海外のアイドルの、しかも解散しちゃったアイドルグループのCDが日本で販売されるなんてはっきり言って前代未聞です。でもそれをやり遂げた(完売しちゃったので)今、タイのアイドルグループFEVERのアルバム発売の経緯を書き残す事にします。

TBSラジオ「アフター6ジャンクション(アトロク)」のアイドル回でも話したように、タイにアイドルポップスというジャンルが誕生したのが1990年代後半。そこから2000年代にかけては現在のT-POPブームに先駆けて日本でタイポップスのプチブームが起きています。アトロクで紹介したNeko Jumpや、Briohny(ブライオニー)、アイドルじゃないけどPalmy(パーミー)といった歌手のCDが日本でも発売されました。まだCDは音楽ソフトとして全盛期でした。

現在ではCDの販売数も激減してます。でも配信の時代にあえて言いたい。「アイドルにはCDが似合う!」と。

物販のTシャツもチェキも良いけど、ちゃんとブックレットやパッケージに凝って作られたCDというアイテムはレコードの時代から続く音楽の入れ物の正統な後継者だし、アイドルの歌声や姿をフィジカルに手元に置いておけるまさに「偶像」だと思うんですよ。手触りや匂いも大事なんですよ!

アトロクでかけたBNK48、AKIRA KURØ、そしてもちろんFEVERもタイではCDを出していますが、今回FEVER「ALL THE BEST」が日本でも発売できたのには訳があります。僕の執念のお話です。

シングルからメモリアルBOXセットへのブローアップ

FEVER解散のニュースは僕を床にのびたままにさせるには充分で、数日ボーッと過ごしていたんですが、フェイスブックなどを見るとメンバーも落胆しているし現地ファンも解散前から既にFEVERロスが始まってる様子です。「3rdシングルはどうなるんだ?」という書き込みに目が留まりました。どうやら発売前の楽曲がまだ残っていて、解散までにそれを完成させて最後のシングルとして発売する計画のようです。

「タイ国内はそれでいいけど、アトロクからの日本の新規ファンは置き去りだなぁ。せっかく日本にもファンが増えたのに」と思いました。1枚目のシングルは既にタイでも完売、2枚目のシングルも日本からは買えません。「なんとか日本で買えるようにならないかな。でも3枚目だけ買えても意味ないしなぁ」と相変わらず床にのびたまま考えていると、頭の中にPerfumeの「Complete Best」の事が浮かびました。「ポリリズム」のヒットで解散は回避したけど、そうじゃなかったらきっと最初で最後のアルバムになっていた、インディーズ時代からの楽曲をまとめて聴ける便利なあの1枚。

「そうか、最後なんだからこれまでの曲CD1枚にまとめて出せばいいんじゃないか?せっかくなら写真集とか付けて」
でも出すかどうか決めるのは僕じゃないですよね(笑)。

なのでCat Expo6の会場で会って名刺交換したFEVERの事務所社長に連絡を取ってみます。

「ハロー。受け入れ難いけど理解しようとしてる所です。最後にメモリアルアルバムを発売するっていうのはどうでしょうか?全部の曲を収録したCDかLPレコードです。豪華な写真集付きで、シティポップ調のアートワークの。ファンは当然喜ぶと思うけれど、何よりメンバー達も自分がFEVERだった証が欲しいと思うんです。

僕は実現可能かどうかは全く考えずに思い付きは言葉にするタイプなので(笑)もう途中からは12人の女の子の事しか考えてなくて、「メンバーが何年か後に思い出にひたりたい時にCDシングル3枚よりはどーんと大きい豪華ボックスセットの方が良いじゃんね。写真集も付いてればスマホの写真フォルダ漁る手間も省けるしさ」位のつもりでお伺いをたててみると、何と社長から「それ良いアイデアだね。来週の会議にかけてみよう」という返事が返ってきました。

そこからは速かったです。値段はどの位なら買うか。どんな特典を付けて欲しいか。この時まではLPレコードのフォーマットで話が進んでいてひょっとしたらA4サイズで写真集が制作される可能性もあったけど、諸般の事情によりCD+ミニ写真集のフォーマットに決まりました。そこにアンケートによるファンの要望でポスターやサイン入りフォトカードが足されたんです。

そんな訳でタイでは解散の5ヶ月後、2021年12月にリリースされたFEVER最初で最後のフルアルバム「ALL THE BEST」、受注限定生産でファンの元に直送され、CDショップには並ばなかったそうです。まさにファンのための永久保存版。

日本で買えなきゃ意味がない

長かったのはここからでした。日本からでも購入できるように日本語か英語の予約フォームを用意して欲しいという要望は叶わず、タイ語表記とクレジット海外決済の壁を乗り越えて日本から注文した人はごく数名でした。アトロクリスナーの皆さんに「各自グーグル翻訳使って頑張って自己責任でタイのサイトで注文してください」なんて言えるわけがない。くっそー、何としても日本で買えるようにしてやるぞ!シンディ・スイのベストみたいにな!

事務所を畳んだ後、新たに女性アイドルシーンの発展を目指した業界団体を設立して役員に収まったり新事業を始めたりして多忙を極める社長に僕は根気よく催促をし(笑)「日本でもFEVERのCD売りたいんです~再生産は難しいですか~」と言い続ける一方日本のFABTONEさんにも「絶対一定数売れると思うんです~アトロクでプッシュしまくってるんで~」と根回しを始めました。FEVERの音楽制作チームにまで「お願い!社長をそそのかして!」とか言ったりして(笑)。

日本のアイドル文化を輸入したタイで今アイドルシーンがめちゃめちゃ面白い事になってる。タイのアイドル文化を日本のアイドルファンにも知って欲しいけどBNK48ですら日本ではCDが出せてない。もう解散したFEVERがそのマイルストーンになる。この最後のアルバムで!

半年も催促し続けたのでとうとう社長も「僕も本当にFEVER日本で売りたいんだ」と言い出しましたが、再生産は費用がかかります。そこで社長が思いついたのが万が一の不良交換対応用の予備在庫でした。これを日本に輸出すれば費用は発送代だけだ、と。ここからビジネスの話がFEVERの事務所とFABTONEの間で急速に転がりだします。僕も時々参加しながら。

再生産と違って数が限られるとはいえ、日本発売が実現するなら最高です。僕はCDショップ向けのプレスリリースを書き、予約スタート日に狙いをつけてアトロク出演のスケジュールを押さえました。当初は発売日に渋谷のタワレコとかで(できれば邦楽アイドル売り場で)大々的に展開してもらって、なんならCDショップ限定特典でライナーノート書きますよ、位の勢いでいましたけど今CDショップって経営が大変だから洋楽の新譜って売れ線以外殆ど仕入れないんですって。ガックリ。そこで「最初はFABTONEのオンラインショップでトートバッグを特典に予約取って、残りはおいおいCDショップやアマゾンからのオーダーに応じて卸していきましょう!」という流れになりました。

ラジオ生放送で予約受付開始をアナウンスする僕

発売、そして幻のライナーノート

そして前のブログ記事で書いた通り、アトロク放送中に予約解禁したアルバムは翌朝日が昇る頃には完売してしまいCDショップに卸す分すら残らなかった。「タワレコのアイドルコーナーで売られる」という夢は叶わずでしたがアトロクでFEVERを知った多くのファンに一通りこのアルバムが行き渡る、という最大の目標は無事達成したのでした。

そこで宙に浮いちゃったのが僕が準備していた店舗購入限定特典のライナーノートです(笑)。CDが手に入った方も、サブスクで楽しもうという方も、日本盤の解説として読んでもらえれば幸いです。プレスリリースを加筆修正したものです。(PDF)

ライナーにも書いてますけどこのアルバム、アートワークがとても素晴らしいですよね。メンバーの写真もイラストもジャケットには一切登場しないのがまたFEVERらしい。

シティポップ感も漂わせた、アイドル史に残る屈指の名ジャケ。
BOX裏面。曲名表記も含めてのアートワーク
BOX側面。サロン・デュ・ショコラで売る高価なチョコレートのような化粧箱

ジャケットに登場するアメリカン・ダイナーは1stシングル「Start Again」内のブックレット写真のロケ地でもあるので(今回のアルバム写真集にもこの時撮影した写真が一部掲載されています)、これ始まりの場所に戻ってきたFEVERが店内にいる、という「ジャケットには登場しないけど存在を感じさせる」考え抜かれたイラストになっているんです。素晴らしいですね!

1stシングルのブックレット写真。店内に集まったメンバー達

ちなみに実際のロケ地はバンコクのバンナーにある「Big Burger」。イラストに描かれているような駐車場付きの平屋建てじゃなくてホステルの1階に入ってるんですが、FEVERファンなら一度は訪れたいお店ですね。最寄り駅はBTSのウドムスック駅かプンナウィティー駅。「トゥルー・デジタル・パーク」という複合施設からは徒歩で15分位です。

店内写真はお店のフェイスブックから。

動くFEVERの姿も改めて紹介しておこうかな。FEVERがアイドルファン以外にも人気を広げたのはデビューから3曲目の「Password」からですが、その最初の客前でのパフォーマンスとされているのがこの映像です。2:35から始まる振付が超絶技巧と萌えの合わせ技で凄いインパクト。観客がハート射抜かれた瞬間です。これはファンカムですが「FEVER Cat T-Shirt 6」で検索すればCat Radio公式のフルステージ映像も公開されています。

そして最後のステージとなった配信ライブがこちら。

父の死と、2枚のCD

それにしてもなぜここまでの執念でもってタイのアイドルの普及活動してるんだろう僕。と考えると、90年代の出来事がその根っこにあるように思えます。

僕は学生時代さんざん中二病をこじらせた上に男子校でしたから、女性にほぼ免疫が無い状態で東京へ進学しました。非モテな僕は東京でコロッとアイドルにハマりましたが、コンサートに足を運ぶわけでもなく主に聴いて楽しむインドア楽曲派でした。学校ではジャズを勉強していたし、当時からあまりにアイドルアイドルした曲は苦手だった気がしますね。

音楽学校を卒業して数年、ゲーム会社に入社した僕は電車通勤の帰りにCDショップに立ち寄るのが日課でした。職場のある駅にも、自宅アパートのある駅にも、ちょうど通り道にそれぞれCDショップがあったんです。

当時はmp3なんて無く、音楽を聴くならCDという時代。CDウォークマンとヘッドフォンをカバンに入れて、仕事帰りにショップで買ったCDを開封して聴きながら電車に乗る。お財布に余裕がある日は2軒ハシゴする。それぞれのお店でジャズとアイドルを分けて買っていました。そんな僕のピッタリ好みだったのはLip’s等CBSソニーのアイドル達とCoCo、Ribbon、Qlair等乙女塾出身のアイドル達。

1992年6月20日。この日はQlairの「シトロン」と新島弥生「シュクレ」がそれぞれ新譜で店頭に並んでいて、出勤前にショップで買いました。いつものように帰り道で聴こうと思ってね。ところが夜になって職場に一本の電話が入ります。父が仕事中に事故に遭い亡くなった、という知らせでした。

僕の父は職人肌で腕利きの自動車整備工でしたが、整備工場で後方不注意でバックしてきた、自分が整備したばかりのトラックに轢かれてしまったんです。

もう地元まで帰る電車は走ってなくて、翌朝の始発で向かう事になりましたが眠れるはずもありません。頭の中は混乱しています。なんでこんな事に。親孝行なんて一度だってできなかったのに。よりにもよって父の日に。

まさに着の身着のまま、という格好で始発に乗った僕のカバンには昨日買ったCDがそのまま入っていました。それで僕は新島弥生の「シュクレ」を家に着くまで延々と聴き続けたんです。Qlairの「シトロン」の方はこれから来る夏を思わせる楽しそうなイメージに溢れたジャケットで、今聴く気分じゃ無かったけど「これから色々大変だぞ。でも葬儀とか全部終わったらこれ聴く気持ちにまたなれるかな」とブックレットだけ眺めて。

恋人もいない僕の「父の突然の死」という一大事に、実家の玄関までそっと付き添ってくれたのがアイドルでした。その後のUターンによる生活の変化を支え励ましてくれたのも。僕はあの日、アイドルに救われたんです。

そして再就職先がCDと本の複合ショップだったので、CDを買う一方売る側にも回りましたが、「アーティストだろうがアイドルだろうがおんなじだ。誰かの毎日を明るくしたり、泣きたい日に耳元で歌ってくれるならその存在には意味がちゃんとあるんだ」とCD1枚売る度に感じていました。だからAKB48が握手券や投票券をCDに付け始めた時も最初はビックリしたけど(だって段ボール何箱っていう単位で予約入れる人がいるからさぁ)全然ありだと思った。

だからでしょうか、結婚してアイドルとは一度縁が切れたのに結局タイポップスの探検中にBNK48やFEVERのファンになっちゃった。救われた恩が返せていないと思ったんですかね?うーん・・・たぶん、新曲が出たら聴き、ライブに行って応援し、物販でグッズ買ってしっかりお金落とすのが結局一番だけど、僕はラジオの仕事をしてて「自分にしかできないサポートの仕方がある」と気付いたんです。

メンバーや事務所にインタビューしてそのアイドルの深掘り情報を曲と一緒にお届けしたり、番組で普段アイドルなんて聴かない人にどうしたらこのアイドルが「刺さる」か考えたり・・・。アイドルは疑似恋愛の対象でもある一方音楽的にはガールポップの1ジャンルでもある訳で、とにかくアイドルはファンじゃなくても聴いていいんだ、って事を伝えてリスナー層を拡大したいんですよね。楽曲派アイドルはその目的に対して使いやすいから登場頻度が高いだけで。

その意味では日本屈指の楽曲派アイドル推しの宇多丸さんにタイ屈指の楽曲派アイドルを紹介できて良かったです。アトロク出演の1曲目にFEVER選んで大正解でした!

ようやく音楽イベントも復活の兆しがある日本。一足先にタイドラマ界からはBillkinとPP Kritのサマソニ出演というビッグニュースも届きました。僕もタイのアイドルを日本で見られるように水面下で暗躍する予定ですが(笑)、いざ実現してバックステージとかで紹介されてもきっと盛大にキョドっちゃうだろうなぁ。未だに奥さん以外の女性と話す時って身構えちゃうんですよね・・・。

「ALL THE BEST」をもってFEVER関連のプロジェクトは終わりだと思うと寂しくはあるんだけど、メンバー達にもこのアルバムが手渡されています。大好きだったアイドルの最後を飾るアルバムの企画を所属事務所に提案できた事、ラジオを通じてファンが増えて、最後にファンの皆さんと、そしてメンバー達とこのメモリアルアイテムを共有できた事は、僕にしかできないナイスサポートだったと珍しく自負しています。その実現に力を貸してくれた皆さんありがとう。これからは元メンバー達の活動を追って、熱(FEVER)を上げていきましょう!

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