レコード盤で音楽を聴く、ということ

コラム

山麓園太郎です。サワディーカップ。

ちょっと歴史の授業みたいに書いていきたいな、と思うんですよね。上手くいくかなぁ。

僕はレコードとカセットテープ→CDとMD(ミニディスク)→mp3→Spotify等のサブスク、という「音楽を聴く方法」の移り変わりを体験してきた世代なんですが、5年前からまたレコードも聴くようになって最近中古レコード屋さんによく行くんです。

でも最初に言っちゃうと「アナログ盤は温かみのある音が・・・」っていう良くある話、あれ100%嘘だと思います(笑)。

写真で背景がボケたり、全体にソフトフォーカスだったりすると柔らかさを感じるのと同じで、針の摩擦音の膜がかかってるのを温かみだと錯覚してるんです。カセットテープのヒスノイズも同じですね。

そしてレコードとカセットテープの時代にはこれをどうにかしてゼロに近づけたい!と各社が技術開発にしのぎを削っていたんです。今では「温かみ」の理由になってるこれが昔はラスボスだったんですよ?

だって僕CDが出た時「デジタルって凄い!これでもうレコード要らない!」って言って、レコード全部捨てましたもん。

今、若い世代の人にレコードやカセットが人気なのは音質よりむしろ「手間がかかる」というその体験にあるようですね。今日は1枚のレコードから音楽の聴き方の変化にまつわる話をしましょう。

最近行きつけのレコードショップ「LiE RECORDS」さん(愛知県豊川市)で見つけたのはカーペンターズのアルバム「Horizon」(邦題:緑の地平線)でした。770円(発売当時2500円)。

僕は小学4年の時に親戚のお兄さんにカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」のシングル盤を聴かされていきなり洋楽のとりこになる、という形で音楽体験をスタートして、お小遣いを貯めてはカーペンターズを少しづつ集めていましたが、このアルバムに到達する前にビートルズにノックアウトされて、以降買うレコードが全部ビートルズ関連になっちゃったので結局「緑の地平線」は大人になってからCDで買いました。件のシングル「イエスタディ・ワンス・モア」は日本で100万枚の大ヒットを記録して、それを収録したアルバム「ナウ・アンド・ゼン」も大ヒット。2年後に待望のニューアルバムとして出たのがこのアルバムですが、子供だった僕にはジャケット写真のアンニュイな表情がどこか馴染めなくて。いつも「買うのはまた今度にしよ」になっちゃってたこのレコードを46年振りに(笑)見たんですよ。

家で聴こうと思って開封にとりかかった時、このアルバムのパッケージの仕掛けの多さと情報量に驚いたんです。この「緑の地平線」、なかなかレコード盤まで辿り着かないんですよ!

まず紙のオビじゃない。ビニール袋にオビを模した印刷が施されていて、特典の表記もされています。特典ポスターはおそらく発売時にはジャケット内にレコード盤と共に封入されていたんでしょう。僕が買ったものは外付けだったからともかく広げてみると

この大きさ。洋楽ファンはこういうポスター大好物で、良く部屋の壁に貼りまくったものです。僕もビートルズのポスター買って何枚も貼ってたなぁ。
ところがジャケットにはまだビニールがかかってます。あれ?

このアルバムタイトルとカーペンターズのロゴもビニールに印刷されてる!これだけのためにビニール二重包装?!
これを外してついにジャケットがあらわになると、裏側のフラップを上げてレコードを取り出すようになってる。まるで手紙みたいに。

レコード袋には歌詞が印刷されていて、更に解説書と(発売時には)特典ポスターが。解説書にはまず日本のファンに向けた直筆メッセージが印刷されていました。

朝妻一郎さんによるアルバム解説の後には歌詞の日本語訳が載り、更に一般公募の対訳コンテストの優秀作品が掲載。

その後にディスコグラフィーが続き、発売予定の楽譜集の宣伝まで載っていました。

現在皆さんが配信で音楽を聴く時に必ず目にする3つ「レコメンド」「広告」「ユーザーのリアクション」の要素がこの解説書には全て含まれていて、逆に配信には無いものも3つ含まれています。「解説」「歌詞」「歌詞対訳」ですね。

配信では、どんなアーティストなのか?とかここの歌詞何て歌ってるんだ?という情報はその音楽に付いてこない。YouTubeがかろうじてそこをサポートしてる感じでしょうか。でもそれが公式であるとも限らない。

レコードの時代との大きな違いは音楽がリスナーに届くまでの時間です。

今なら検索窓に曲名なんか入れれば一瞬ですね。海外の新曲は世界どこでもリリース日に、見つけて5秒で聴ける。アーティスト本人もSNSで告知してくれたりして。一方このレコードが出た1975年はどうだったかというと、ネットなんかありませんから情報源は毎月発売される音楽雑誌かレコード屋さんの店頭告知かラジオ位です。リリースも海外の方が1~2ヶ月早かったですよ。録音テープのコピーが航空便で日本に届いて、そこから解説や歌詞対訳の発注をして、出来上がった解説書やジャケットやオビの印刷があって、プレス工場で出来上がったレコード盤が収まって、そこからトラックで倉庫に入って更に全国各地へ配送。で、それを買いに行って家に帰って、ジャケットから取り出してレコードプレイヤーにセットしてようやく、ですよ。そして曲を聴いてる間に動画が流れる訳でもない。ひたすらジャケットの表裏と解説書を眺めるだけです。

この記事を読んでくれてる若い世代の人にお伝えしたいのは、「これはただの歴史だ」って事です。今更そんな時代には戻れなくて、でも新鮮な「レトロ体験」みたいに時々楽しむならそれもOK。学校の音楽や日本史の授業よりたぶん面白い。

でもひとつだけ覚えておいてください。「音楽を便利に聴けるようにするために省いた無駄なもの」は、長い歴史のスパンで見た時に「本当は省いちゃいけなかった大事なもの」だったかもしれないんです。

「配信で扱うのに適した形にするために元の音楽からデータを間引き」
「物理的な形も必要ないからパッケージも不要」
「1曲単位で聴ければいいから何曲も入ったアルバムの形じゃなくていい」

この3つが「省かれた無駄(?)」の代表です。まずはデータ化の問題点について触れましょう。

mp3が普及し始めた頃に、当時はmp3/wmaプレイヤーの記憶容量も少なくて、でもなるべく沢山曲を持ち歩きたいから一番低いビットレートのwmaでCDから変換してて「あれ?」と思ったんです。「こんなフレーズ入ってたっけ?」。

当時使ってたCOWONのiAUDIO G3。2GBで4万円!

元のCDと聴き比べてみると、バンド全体で大きな音を出してる時にシンバルの一部が消えちゃってて、そのせいで普段気に留めてなかった他の楽器が目立って聴こえたのでした。もちろん曲としての形は維持してるんだけど、「ここよーく聴かなきゃ気が付かない部分だからカットしていいよね。節約節約~」っていう圧縮音源の怖さが初めて分かったんですよその時。

CDの時代までは「原音を忠実に再生する」のが目的だったのがMDから「この容量に収めるためにどう(気付かれずに)原音からデータを間引くか」が技術の見せ所になって、もちろんこのおかげで今やSpotify等を通じてタイポップスもリアルタイムで日本から聴けるようになっているのは歓迎ですけど、音楽としては「ここは譲れない」っていうポイントを1回越えちゃった出来事だったと思います。

今はハイレゾ音源も配信されてるから一概に音が悪いとも言えないのでは?という声もあるでしょうが、ここが第2の問題点「パッケージ不要論」に関わってきます。秒で世界中に共有できるようにするためにパッケージと物流を省いた事で、音楽は「アート」と切り離されてしまいました

ビートルズの「サージェント・ペパーズ」や山下達郎の「FOR YOU」のように、レコードの時代に生まれた名盤はそのジャケットも中身の音楽同様に人々に強い印象を残しています。有名な写真家や画家、グラフィックデザイナーが関わった作品もあります。音楽以外の芸術分野がこうして音楽のパッケージを支えていましたが、配信の時代の今、画像はファイルを区別するための単なるアイコンです。曲が終わった後、僕たちの気持ちは余韻無く日常に引き戻されます

ハイレゾ音源!って盛大にアピールしてるのを見ると、「うちは味で勝負だ!」って言って凄く美味しいフランス料理を改装もしてない居酒屋の居抜き物件の店でファンシー柄のプラスティック食器で出す、みたいな居心地の悪さがあるんですよね。ワインも紙コップかよ!みたいな。

音楽はそれを包むパッケージのアートでその魅力を何倍も膨らませていたのに、突然自分の力だけで勝負しなければならなくなりました。サビで始まる曲、派手な音色で注意を引く曲が増えたのもそのせいかもしれません。これが第3の問題点「アルバム不要論」です。ちょっと地味で静かなイントロなんか付けたら30秒も経たずにスキップされちゃうからとにかくスピーディーでインパクトのある展開が求められます。すると1曲単位で成り立つけど、続けて聴くと味付けが濃いおかずばっかりのお弁当みたいで胸やけしちゃう。それでアルバムは作りにくくなっちゃいました。

「緑の地平線」はある意味地味なアルバムです。でも大ヒット曲も程良く含んでいて、目立たないけど気持ちを落ち着かせてくれる良曲があって、2曲の歌詞がひとつの物語を成す瞬間があって、全体としてこのアルバムにしかないカラーを持っています。約40分があっという間。

もうひとつ面白い例があるんですが、ジョン・レノンの1973年のアルバム「Mind Games(邦題:ヌートピア宣言)」。このアルバムの6曲目には「ヌートピア国際賛歌」という曲が入っています。その実体は4秒間の無音。

でもこの4秒間の無音が、iTunesではしっかり255円で販売されています。しかも2010年のデジタル・リマスターで(笑)。普通これ単品で買おうとは思わないですよね?でもこのアルバムはあの「イマジン」の延長線上にある作品で、ジョンとヨーコが建国した「領土も法律も無い概念上の国家」ヌートピアの国歌として収録されたのがこの4秒なんです。 アルバムの中に置かれて初めて意味のある「曲」になる。

音楽にはこういうトータルな形での表現方法もあっていいのに、1曲ごとに「ヒット」という成果を求められるのは窮屈な話です。

この3つを捨てた時に音楽は大事なものまで一緒に捨てちゃったかもしれない。

これからのデジタル配信には「もう捨てちゃったアナログのパッケージが持っていた良い所」をどれだけ取り戻せるかが求められると思います。インタラクティヴなデジタル・ブックレットで歌詞や解説を補完したり、人間が集中力を保てる時間内にプレイリストを収める、といったようにユーザー・インターフェース次第でアナログのアルバムフォーマットを再現する事はきっと可能なはずです。そこから新しいデジタル・リリースの形が作り出せるかもしれない。

レコードデビューした若い世代の人には、アナログの「手間ひまの面白さ」と同時に「アルバムというフォーマットの可能性」を感じてもらえたらいいなと思います。ロックやポップスの名盤を聴け!って言われても「名盤」って何?エモい曲が多いの?みたいな感じだと思いますが(笑)、1時間弱というそれなりの時間を、ひとりのアーティストの音楽と対峙して過ごす行為こそがエモいんです。ライブが特別な感動を与えるのもこれと同じ理由なんじゃないかと思います。そしてLPレコードというものが音楽のパッケージとして60年以上現役バリバリで、1枚売れるたびにアーティストやレコード会社だけでなく印刷会社やプレス工場やトラックのドライバーさんやショップ店員さんにもお金をちゃんと落としてきた、という歴史があった事をお伝えして、今日のお話は終わりにしたいと思います。では素敵なレコードライフを。カーペンターズなんかオススメですよ!

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