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BNK48の祖先!オールナイターズ(後編)

コラム
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山麓園太郎です。サワディーカップ。

前編で書いたように、AKB48のシステムの元となったオールナイターズをラジオ番組で取り上げて、最後に当時AKB48の海外組としては最新だったBNK48をかけたことで始まりの点と現在の点を線で繋ぎ、僕は長年のアイドルファン活動を一旦まとめ切った、という気がしました。2日位(笑)。

3日目にはもうまとめ足りないことが溢れてきて、それは放送で話したオールナイターズのドキュメントと対をなす「僕の個人的な思い出」でした。当時のファンの皆さんそれぞれの思い出は住んでいた場所や推しメン(当時はそんな言葉なかったですけど)によって違っても、同じオールナイターズ推し同士、楽しさ懐かしさは共有できると思いfacebookに書いてみたり。

するとある日当時のファンで、現在元メンバーの芸能活動にもご縁がある方からライブのお知らせが届きました。「おかえりシスターズ」のコンサートでした。

「おかわりシスターズ」の山崎美貴さんと「おあずけシスターズ」の片岡聖子さんによって結成され、既に何回もライブを行なっていますが、特別ゲストに「おあずけシスターズ」で片岡さんとペアだった井上明子さんが来る、という特別な回!

2018年4月7日。会場は蒲田「ニューエイト」。音響と照明が素晴らしいライブハウスでした
現在オーストラリア在住の井上明子さん(左)が帰国参加して、34年振りの「おあずけシスターズ」再結成が実現
山麓園太郎
山麓園太郎

後編では、このライブの後で書いたものと放送後に書いたもの、2つのテキストと写真をご覧ください。

text 1: 「おかえりシスターズと僕の間に流れた34年のこと@蒲田ニューエイト」

もともと文才も無い上に、あの夜の感動は上手に伝えられる気がしない。だからあの夜同じ場所にいた多くのファンの皆さんそれぞれの思い出の中にあるだろう当時の事を、「僕の場合は」として思い出して書いてみようと思う。

僕とオールナイターズの出会いはもちろん第1回の放送だ。当時音楽学校の寮で暮らしていて、アレンジの勉強にと歌謡曲のレコードを集めるうちに、ジャケットの写真の女の子の方が気になってしまうようになった。

それまでのアイドルは自分より少しだけ年上で、(だから伊藤つかさがデビューした時にはとても驚いた)けれど、この頃にはアイドルはほぼ自分と同世代の女の子が多くなってきていた。しかしこれから始まる番組に出るのは芸能人じゃない。同じ年の素人の女子大生だという。

何か凄く楽しそうだ、見てみよう。と、高校が男子校だった僕はまるで中学の同窓会に出かけるような気持ちでTVの前に陣取ったのを憶えている。夜更かしする僕の高揚感を更に越えている画面の向こうの賑やかさ。放送は最後まで楽しく賑やかに進み、見終わった後布団に入りながら「来週も見よう」と決めた。

僕は仕送りの大半をレコードと楽器に費やしてしまうから、ビデオデッキなんてとてもじゃないけど買えなかった。だから毎週一期一会の決意で目を皿にして見ている訳で、それが一層番組に出てる女の子達を特別に見せた。「この子、この髪型も素敵だなぁ」「えー、あの子は今日お休みかぁ」

やがて前日の夜にコンビニに行くのが決まりになる。サントリーの「生樽2リットル」そうじゃない時は「NEWS」か「21」のスプライト割り。肴の定番は「じゃが丸くん」で、その他にポテトチップスやナッツ缶など。

番組開始と同時に彼女達との飲み会が始まり、明け方近くに、酔っ払った僕はTVを消して、タクシーに乗った彼女達より一足早く眠りに落ちて、日曜日の半分を寝て過ごす。こんなに安くて女の子の人数が多いスナックは他には無い。なんてコスパのいい店なんだ!と(笑)、週末は「オールナイトフジ」通いをずっと欠かさなかった。

すっかり全員の顔と名前が頭に入った頃、おかわりシスターズがデビューした。続いておあずけシスターズもデビューし、いよいよオールナイターズ名義でアルバムが出ると知った時には翌日新星堂に走って行って予約をした。

その時の、今思えば少し松尾羽純に似てた店員さんのリアクションが当時の番組の勢いを表している。予約を入れに来た僕に「あー、なんか今話題の深夜番組の?」みたいな対応だった彼女。発売日に取りに行ったら「オールナイターズですね?ありがとうございます!」とホクホク顔。

レジカウンターの客注棚には、僕以外にも沢山の人が予約した「チュッとセンセーション」が取り置きされていたのだった。翌日から、僕の通学のBGMはウォークマン(WM-20)に入れたこのアルバムになった。

夏の「よみうりランドEAST」には行けなかったし、河田町に出かけて出待ちをする事もなかったけれど、いくつかの大学の学園祭には出かけたし、本の発売記念サイン会にも行った。先日の蒲田で再会する前に最後に見たのがおかわりシスターズの解散コンサートだ。

これには悔しい思い出がある。番組でチケットの電話予約が始まった瞬間、僕は寮の外の公衆電話までダッシュして見事に電話が通じたのだが、小銭を部屋に置いてきてしまったのだ。チケットの手続きが完了する前に電話は切れてしまい、慌てて部屋から財布を持ってきたが、今度は電話がなかなか通じない。コンサート当日、僕の席はかなり後ろだった。あの時ポケットにもっと小銭があれば、もしかして最前列で彼女達を見られたかもしれない。

僕は間違いなくオールナイターズとあの時代の東京に恋をしていた。音楽学校を卒業しても、それで食べていける人はほんの一握り。僕は他の仕事を探して東京に残る道を選んだ。そしてなんと、とんねるずが好き過ぎた僕はとんねるずに衣装提供していた「K-FACTORY」に就職した。

原色使いの派手なデザインのオーバーシルエットな服を着て原宿へ出勤する日々が始まったけれど、住んでいたのは中央線の武蔵境だったから人の視線はグサグサ刺さった(笑)。でも、それまではオタクな格好だった僕がこれをきっかけに派手好きに変身し、今も「なんか凄い派手な謎の人」というキャラを確立してラジオやライブハウスに出ているのだから、人生の転機だった。

「オールナイトフジ」が無かったら、今の僕は無いのだ。番組から彼女達が卒業した後も、いつかどこかで偶然に会えたりしたらお礼が言えるのにな、と思いながら東京で暮らした。ここで暮らしていればまだ何か繋がりが残っているように思えた。

そして10年。父が不慮の事故で他界し、ひとりっ子の僕は残された母の待つ愛知県に戻った。

そして24年。facebookが僕とオールナイターズを再び繋いだ。ラジオでオールナイターズ特集を組んだ僕に、おかえりシスターズのコンサートのお知らせが届いたのだ。

あの夜の蒲田でステージに3人が現れ、そして会場を埋め尽くすお客さん達も殆ど自分と同年代だと判った時には「これはタイムマシンに乗ってるようなものだな」と思った。そして終演後に主催者の方から3人に紹介されて、山崎さん推しだった僕は彼女と一番長く話したのだけれど(笑)別れ際に握手をしてもらった瞬間、本当に頭の中で「キュルキュルッ!」とカセットテープの巻き戻る音がして、写真集発売記念のサイン会で握手した時の山崎さんの手の感触を鮮明に思い出した。

山崎美貴さんと。

今まで脳のどこに眠っていたのだろう?でもあの時と同じ手だ!とちゃんと判るのだ。こんな不思議な事が、いや、僕がどれだけあなたから毎週元気をもらっていたかを考えたら、この位の不思議な事があっても当然だろうな。と思ってお礼を言っておいとました。

そして一昨日、ラジオで再びオールナイターズをかけるにあたり、クローゼットから懐かしい「K-FACTORY」を引っ張り出して着て行った。僕が働いていた頃、ショップには芸能人の方も数多く来店されて楽しい思い出になっているけれど、あなた達と過ごした時間全部が僕の本当の宝物です。

AKB48での「神7」にあたるメンバー3人と当時のファン(笑)

山崎美貴さん
片岡聖子さん
井上明子さん
ありがとうございました。

そして素晴らしいコンサートを企画してくださった湯本様、上林さまはじめスタッフの皆様、アーカイヴァーの鈴木様やフォーライフレコードの関係者の皆様方にも御礼申し上げます。

山麓園太郎
山麓園太郎

この時はライター/アーカイヴァーの 鈴木啓之 さんや、当時のフォーライフレコード(現フォーライフミュージックエンターテイメント)の関係者の方々も客席におり、終演後はバブル時代がよみがえった「業界のパーティ」のような華やかなひとときでした。

text2 : オールナイターズ特集・はみだしエピソード/フォト

こりゃ大変貴重な当時の生放送中の僕の部屋(音楽学校の学生寮)。おかわりの2人(深谷さんと松尾さん)がビデオの発売告知をしてるとこですね。これだけ人気になっても、やはりオールナイターズには「あわよくば芸能界へ」なんていう野心は皆無でした。当時の好景気を背景にした「アルバイト感覚」で週末だけフジテレビに通ってる、という感じでした。放送でも言ったように番組は毎回終了時間未定で、大体午前3時半から明け方4時までには終わるかなー、というアバウトさでした。「未定」とする事でビデオ録画をしにくくして、リアルタイムで試聴してもらおうという狙いがあったそうです。まぁ僕はビデオデッキまだ買えなくて必然的に毎回生で見てましたが。

1984年の秋、おかわりシスターズは東京で大学の学園祭に呼ばれてライブを行なっています。番組の人気は同世代の学生達に支えられていて、大学のサークルが「オールナイトフジ」そのものを他校のサークル仲間のように捉えてたふしがあります。全部で何校だったかは定かではないんだけど、僕の覚えてるのは2校。僕が会場で録音したテープが残ってるからです(笑)。実家から発掘してきた。カセットレーベルにちゃんと詳細にデータも書き込んである。今よりマメだったんだなぁ僕。録音に使ったのは東芝Walkyですって。
1本は1984年11月3日午後5時・国立市の一橋大学兼松講堂での「くにたち小町コンテスト3 振り向かないで!私はオールナイターズ」。おかわりシスターズの他に須田ちよのと日比野亜由が出演してます。僕は後ろの方の席だったみたいで録音状態は西新宿的に言うとC。曲目は
・恋をアンコール
・気分はセミヌード
・許してあげる
・とりあえず恋
・心はシーズンオフ
・素顔にキスして

の6曲。
今回聴きなおしてみて改めて驚いたのは、「カラオケじゃなくてバックバンドによる生演奏」という事と「各メンバーがユニゾンじゃなくてハモリで歌ってた」という事。アイドルがハモリ始めたのは乙女塾のQLAIRからだと思ってたけど違った!
で、確かこの会場だったと思うけど当時ブレイク前のレベッカが同時にブッキングされてて、おかわりのステージの後座なんですけど、おかわりのステージが終わると大半の客が帰ってしまい、司会者の「レベッカも見ていってくださーい!」の声が空しく講堂にこだましてたのです。まぁ「フレンズ」が出る1年前だからね。
さて、このテープは保存用にダビングしたもので自分でフェードイン/アウトして仕上げてあり、空き時間をフジテレビの終了パターン(砂嵐の前のやつね)で埋めてあるんですが、このBGMが長尺のフュージョンでビックリした。何にでも贅沢にお金をかけられた時代ですよ。

もう1本は11月9日の専修大学(神奈川県多摩市)357教室。この時のメンバーはおかわりの3人の他に井上明子と佐瀬和子。これは凄い前の方の席が取れて歌もMCもクリアに録れてるんだけど隣の席のオタが凄いやかましくて(笑)西新宿的にはB(オタがいなけりゃAだった)。曲目は
・恋をアンコール
・気分はセミヌード
・許してあげる
・素顔にキスして
・とりあえず恋
・心はシーズンオフ

そしてアンコールがかかってもう一度
・素顔にキスして
これは録音に使ったテープをそのまま保管してありました。いやーお宝だわ。諸般の事情で絶対ラビット・アワーでは放送できないのが残念だけど。

オールナイターズは更に書籍を2冊発売していて、発売記念サイン会も開催していました。僕はもちろんどちらも行ったのでサイン入りです。その場でサインじゃなくてサイン済みの本を販売、でしたが購入者はおかわりの3人と握手ができました。当時からタレントが本を出す時には行なわれたイベントですけど、AKBの握手会と結びつけて考えると感慨深い。場所は新宿の紀伊国屋だったはず。僕はカメラ(写ルンです)を持って行って会場と帰りの追っかけで写真を撮ったけど、実家に埋もれてるのか発掘できてません。写真集の発売時にはもう解散は決まってて、僕が「最後まで応援します!」って松尾さんに言ったらギュッと手を握って「ありがとう!」って応えてくれて、去り際にカメラを向けたらわざわざこちらに向き直ってニコッとしてくれた。山崎さん推しだったのが一時的に松尾さん推しに変わった瞬間でした。その時の写真を探してるんだけど(泣)

これが書籍2冊の表紙。右上のCDは音楽メディアがレコードからCDに移行する最初期に発売されたもの。まだCDプレイヤーを持ってなかったけど買った最初の1枚です(笑)。カセットテープに至ってはもはやレコード会社にも現存しないものだそうで、「おかえりシスターズ」のコンサート後にフォーライフの人から「大切にしてください」と念を押されました。

彼女たちが残した2本のビデオです。解散コンサートは今回「LASTセレクション」のボーナスDVDとして復刻されたけど、「フォーエバー」の方は収録ならず。本当はこっちの方が番組のノリを詰め込んであって面白いんです。

ここまで人気者になったのに、おかわりの3人と他のオールナイターズのメンバーは番組卒業の後、普通に女子大生に戻っていきました。なんて潔い去り際だったことか。

続編的に放送された、やしの実FM「ラビット・アワー バブルと恋とオールナイターズ以降」ではオールナイターズに加え、乙女塾出身のアイドルたちを特集
その放送時に着たK-FACTORYのシャツ。人気上昇中のとんねるずが着たことで一躍有名に。「夕やけニャンニャン」出演の翌日、同じセットアップが完売する毎日でした。以降の彼らの衣装はPERSON’SやPOSHBOYへと変わっていきます
山麓園太郎
山麓園太郎

いかがでしたか?

80年代というのは、家電や楽器のデジタル化が進み始め、バブル景気の後押しもあり、身の回りのものがどんどん買い替えられた時期でした。貧乏学生に分類されていた僕ですら新しい楽器やウォークマンの新型にひょいひょい飛びついたものです。

良くも悪くも景気の良過ぎる、大量生産・大量消費の時代。しかしこうしていくつかのアイテムはコレクターや、僕のように「単に捨てられなかった人」の手元に残っています。そして時代が一回りして再評価の機運が高まったりすると、

「もしも新しいものが古いものを完全に滅ぼしてしまったら、歴史や製造技術ごと失われてしまったら、その時には気づかなかった利点や伸びしろを再発見することもできない。どちらかしか残っていない、じゃなくてどちらもあって選べるのが本当の幸せなんじゃないか?」と思うのです。

「真空管」なんかは絶滅寸前まで追い込まれながらも、オーディオや楽器の世界で換えの効かない部品だったから生き残りましたけど、あれ昔はテレビの中にだって入ってたんですから。

そしてオールナイターズが様々な機能を追加しながら今もAKB(BNK)48として市場にあるのを見ると、「アイドルと家電ってなんだか似てるなぁ」と思います。

「オールナイターズは初代ウォークマンだった」みたいな。

このコラムを書いていてデジタルとアナログの話も頭に浮かびました。いつかまとめてみたいなぁ。山麓園太郎でした。

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